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続・志木歴史クイズ

100 点満点 ( 合格点 70 点 )

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問題 1.

いろは樋の「いろは」とは何の意味がある?

いろは48文字と同数の樋が繋げてあったから
日光のいろは坂から命名
平安時代にカルタを作っていたから

問題 2.

志木は河に囲まれているため昔から水害が多く、住民は困っていました。
そこで水害を防ぐために造られた旧宗岡村にある(現存します)堤は?

宗堤
水防堤
佃堤

問題 3.

志木には多くの寺社がありますが、その中で神社には珍しく北向きに鎮座しており
上の氷川神社と向き合っている神社があります。その神社とは?

神の氷川神社
南の氷川神社
下の氷川神社

問題 4.

志木は昭和45年10月26日に市制施行により志木市となりました。今年は市制施行40周年です。
志木には今まで4人の市長がいますが、その中で初代市長は誰?(1970〜1985)

吉田成寿
小山正敏
井下田四郎

問題 5.

志木はうどんの街でもあります。なぜなら明治から大正にかけて志木では野火止用水を利用した
製粉業が盛んでした。さて明治期の志木町にはいくつの水車があったでしょうか?
※半角数字で入力してください

答え:

問題 6.

志木のお祭りといえば敷島神社のお祭りですが、その敷地内に富士山も模した
高さ12メートルの山があります。それはなんという山でしょう?

富士宮山
富士見山
田子山富士

問題 7.

志木は志木宿(引又宿)と呼ばれ、新河岸川舟運の発達と共に現在のいろは商店会に位置する
宿場町として栄えていきました。その水運の船着き場であった名前はなんという?

引又河岸場
志木岸場
新河岸場

問題 8.

大正3年(1914)に志木に初めて電灯が灯りました。その年には舟に代わる手段として
ある交通機関が志木にも開通しました。その交通機関とは?

距離馬車
鉄道
長離籠

お疲れ様でした。「採点」ボタンを押して採点してください。


※下方に、解説があります。採点後にご参照ください。

結果:

解 説最初は広報誌の問題から

Q1:志木市にある世界に一本しかない桜は何?


   A.ハタザクラ

   解説:長勝院ハタ桜・・・ 推定樹齢400年以上のハタザクラで日本唯一の栽培品種
     長勝院にあることからこの名がついた。
    
http://homepage3.nifty.com/hatazakura/hatazaku.html  ※リンク先は、当団体と関係ありません。



Q2.宗岡小学校の横にある、奥州街道に築かれた塚は?

  A.一里塚


   解説:http://blog.yahoo.co.jp/kt032292n58/58970031.html  ※リンク先は、当団体とは関係がありません。



Q3.柏町には昔「柏城」という城がありました。そこで発掘された古代の人類のゴミ捨て場とは?

   A.城山貝塚


   解説:
6000年前の所産と考えられるヤマトシジミ主体の斜面貝塚。
    http://www.city.shiki.lg.jp/52,2418,134,576.html  ※リンク先は、志木市のHPです。



Q4.志木市役所の前には村山快哉堂という志木の貴重な文化財があります。そこは何屋さんを営んでいたでしょう?

  A.薬屋


  解説:http://kappa-no.net/tudura/etc/red/01red/red14.html  ※リンク先は、当団体とは無関係です。



Q5.志木は水の街とも呼ばれています。河に囲まれ水との歴史が深い街ですが、
   江戸時代に作られた野火止用水から志木に引かれた樋は?

写真:上(明治時代)/下(現在)


  A.いろは樋


  解説:
野火止用水を宗岡へ!!岡部・白井の「いろは樋」大作戦!

徳川家康が江戸城へ入府後50年程たち、江戸の人口増による上水の不足がおこり、1653年(承応2)幕府は多摩川から水を引く玉川上水を掘ることを許しました。総奉行は、老中松平伊豆守信綱、水道奉行は関東郡代伊奈半十郎、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟がこれを請け負い、工事は1654年(承応3)に完成。信綱は、その功績により関東ローム層の乾燥した台地のため、生活用水に難渋していた領内の野火止に玉川上水の分水を許され、1655年(承応4)に野火止用水を開削しました。工事担当を安松金右衛門に命じ、費用は三千両を要したといわれています。現在の東京都小平市から掘りおこし、野火止台地を経て新河岸川に至る全長約24キロメートルにも及ぶ用水路である。(新座市役所HPより一部引用)

明治30年頃、宗岡を治めていた岡部左兵衛忠直(おかべさひょうえただなお)の部下白井武左衛門(しらいぶさえもん)は、宗岡地区の水不足を解消する為に、野火止用水を引けないものかと計画をしていました。しかし、当時では川の下に水道管を通す技術も当然無く、川の上から「樋」をかけ、水を送ることに成功したのです。ちなみに、この樋には48の繋ぎ目があり、「いろは48文字」と引っ掛け「いろは樋」名付けられ、現在の「いろは橋」の由来となりました。

  http://www.geocities.jp/fukadasoft/renga/iroha/index.html   ※当団体とは、無関係です。



Q6.志木市は河童の街とも言われていますが、昔柳瀬川に住んでいたカッパが馬にいたずらをしようとして、けがをして
   弱っているところを助けてくれたのは誰?

  A.宝憧寺(ほうどうじ)

   http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_6a73.html  ※当団体とは、無関係です。



続・志木歴史クイズの 解説

問題1: 「Q5.」を参照のこと。



問題2:志木は河に囲まれているため昔から水害が多く、住民は困っていました。
    そこで水害を防ぐために造られた旧宗岡村にある(現存します)堤は?

 
    
解説:佃堤
 旧宗岡村に治水対策の為に造られた堤。
 上流の南畑村(現.富士見市下南畑)方面からの洪水流から宗岡村を守るために、江戸時代(1650年頃)に築かれた。宗岡村は荒川と新河岸川に挟まれた低地であり、水害が非常に多く、この水害を防ぐ為、江戸時代には村の周囲を堤防で囲んでいた。 ただ、村の周囲を堤防で囲んでいると、降雨時の排水や農業用水の取り入れが不可能となる。その為、専用の用水路を確保し、水量調節の為に樋門が設けれれた。
    http://www.geocities.jp/fukadasoft/renga/around/tukuda/index.html  ※当団体とは無関係です。



問題3:志木には多くの寺社がありますが、その中で神社には珍しく北向きに鎮座しており
    上の氷川神社と向き合っている神社があります。その神社とは?

    解説:下の氷川神社

    当社は宗岡地区が上から下に発展していくと共に、観応2年(1351)に上ノ氷川神社から分祀された神社。
上ノ氷川神社は1078年権大僧都善海(ごんだいそうと ぜんかい)の手により建立され、その上ノ氷川神社にあった一対の茶臼を二つに分け、年号を刻み上石を下ノ氷川神社に、下石を上ノ氷川神社の土中に埋め、社殿に幣帛(へいはく 注1)を祀ったことに始まる。多くの社寺が南面または東面に向いているのに対し、当社は北向きに鎮座しており、上ノ氷川神社と向き合う
ことで、宗岡地区の氏子を守護していた。社殿は昭和61年に造営。当社の別当寺は観音寺(創立は1570頃)、神仏分離後(注2)に廃寺されている。

注1 幣帛(へいはく):神道で、神前に奉献するものの総称。    幣(ぬさ)、幣・幣帛(みてぐら、みてくら)ともいい、布帛(ふはく、織物)・紙・玉・衣服・酒・武具・神饌・貨幣・器物・獣類などがある。
注2 神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。



問題4:志木は昭和45年10月26日に市制施行により志木市となりました。今年は市制施行40周年です。
    志木には今まで4人の市長がいますが、その中で初代市長は誰?(1970〜1985)


    解説:小山正敏  ここで「市」になりました。

1955年(昭和30年)5月3日 - 志木町と宗岡村が合併し、足立町が成立。
1970年(昭和45年)10月26日 - 市制施行により、志木市となる。


   ※wikiより転載



問題5:志木はうどんの街でもあります。なぜなら明治から大正にかけて志木では野火止用水を利用した
    製粉業が盛んでした。さて明治期の志木町にはいくつの水車があったでしょうか?


     解説:11

    http://www.shikishishokokai.net/towninfo/top.html  ※当団体の、上部組織です。



問題6:志木のお祭りといえば敷島神社のお祭りですが、その敷地内に富士山も模した高さ12メートルの山があります。それはなんという山でしょう?

    解説:
田子山富士
     
 http://blog.goo.ne.jp/mizukawa-tomo/e/c1e8d57c985101acd31993a63d090559  ※リンク先は、当団体とは無関係です。



問題7:志木は志木宿(引又宿)と呼ばれ、新河岸川舟運の発達と共に現在のいろは商店会に位置する
宿場町として栄えていきました。その水運の船着き場であった名前はなんという?

  解説:引又河岸場


  http://ja.wikipedia.org/wiki/引又河岸
  http://kappa-no.net/tudura/syuun/syuun-kamiyama/syuun-kamiyama.html  ※参考資料



問題8:大正3年(1914)に志木に初めて電灯が灯りました。その年には舟に代わる手段として
ある交通機関が志木にも開通しました。その交通機関とは?


  解説:鉄道

  



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